「聖人」とは一体どんな人でしょう?カトリック中央協議会のHPによると、「「聖人」とは、生存中にキリストの模範に忠実に従い、その教えを完全に実行した人たちのことであり、神と人々のために、またその信仰を守るためにその命をささげるという殉教もその証明となります」と書かれてありました。
私が理解するイエス・キリストは、シンプルに山村幸夫さんのような存在です。ですので、山村幸夫さんの目指した生き方が、イエスだと理解しています。つまり、ヒーリングなどで奇跡を起こすことができ、お金儲けとは縁がなく、エゴもなく、無償の愛を実践した人、それが私の考える聖人です。
さて、マザー・テレサのホロスコープ(出生時間をインド時間に修正)を見てみましょう。
まず、彼女の出生図で目に留まるのが、高揚した水星です。高揚した水星を持つ人はどんな気質をもっているでしょう?
水星は、ビジネス、お金儲け、マルチタスク、自己利益の星です。そのため、物質世界で生きていく上でとても大切な星です。自分に得なのか損なのかを考え、計算します。例えば、水星が高揚した方に、オンボロの中古車を無料で譲ったとします。すると、その人は、オンボロの車にしばらく乗った後、不用になると、カーステレオを付けるなど付加価値をつけた上で、その車を友人に売ります。そういう行動をとれる方です。ここに良い悪いはありません。物質世界では、このような人を商才がある、と言います。惑星が高揚しているということは、惑星が思い切りその力を発揮できる場所にいるわけですから、水星の高揚も例外ではありません。ビジネスが上手なのです。そのため、水星は、人との付き合いに損得勘定を入れます。合理的な人なのです。その分、深い愛情というものがわかりづらくなり、愛情に疎くなりやすいです。高揚した水星を持つマザー・テレサは、ビジネスがうまく、寄付金という形でお金を集めることが上手い人だったと推察されます。そして、損得勘定で動く人ですから、「無償の愛」、「見返りを求めない愛」で動く人ではなかったであろうと思われます。
インド時間に修正すると、水瓶座ラグナになります。人と変わったことをしたい、人より秀でたいというエネルギーが働き、そのために努力をします。水瓶座ラグナの方は、生まれながらにして、人と直接関わらなければならない、外に出て活動しなければならない、そのような努力・苦労を強いられます。彼女の3室には土星と月があり、仕事としての交流にがんばる力を発揮できたと読めます。彼女が幼い頃から修道女になると決め、自分の立場(職業)を人生の早い段階ではっきりさせたことで、「私は、修道女です」と名乗ることができました。そのおかげで、若い頃から、外に出て活動し、人と直接かかわっていくことが比較的容易になったはずです。そして、水瓶座ラグナの方は、このように人と関わっていく、活動していく、という苦労を経ることで、この世的な成功を得やすくなります。
マザー・テレサも、若い頃は、自分の評価・尊敬を得るために、苦労したことでしょう。そして、この世的に、その苦労が実り、ノーベル平和賞を受賞し、死後まもなく聖人の列に加えられたと考えられます。一方、その幅広い活動は、ハイチの独裁者ジャン・クロード・デュヴァリエ元大統領から多額の寄付金を受けとったり、ロバート・マクスウェル(児童性的人身売買で逮捕されたギレーヌ・マクスウェルの父親)との交流にまで及んでいます。ここに聖人を感じさせる要素は一つもありません。また、児童性的人身売買に関わっているヒラリー・クリントンと共にワシントンD.C.に幼児養護施設を開設(その後閉鎖)したという恐ろしい話もあります。
獅子座にある太陽と、それと共にある火星のエネルギーも特徴的です。その強い男性性のエネルギーは、彼女に強い行動力と実行力を与えました。「修道院」「診療所」「孤児院」を世界各地に建てたという形で表現されています。一方、この強い太陽のエネルギーの持つもう一つの側面は、高いプライド、自尊心、尊敬してもらいたいというエゴであり、また火星のエネルギーも得て攻撃性という側面も持ち合わせます。
また、彼女は、大変孤独で、むしろ人の愛を必要としていたのはマザー・テレサ自身であっただろうと感じさせる惑星配置を持っています。本来、こうした配置を持って生まれると、親子関係、夫婦関係、子どもとの関係、友人関係を通じて、少しずつ自らの孤独を癒していき、そこで初めて、「本当の愛とは何か?」ということを学んでいきます。そして、ようやく本当に人を愛せるようになるのです。自分が満たされていないと、人を愛せません。早くから修道女になったマザー・テレサは、そのような孤独をいつ、どのタイミングで癒すことができたのでしょうか。
彼女は本当に聖人だったのか?その答えは、結局、私たち一人ひとりの魂がどれだけ気付いていけるか、という問題と深くかかわっていると思います。世の中の一部の人(支配層)がノーベル平和賞だの聖人だのと決め、私たちに押し付けてくる「立派な人」が、本当に私たちにとって立派な人なのでしょうか?
残念ですが、世の中の権威ある人(厚労省が言っているからとか、医者が言っているからとかで)ワクチンを何の疑いもなく打ってしまった人、というのは、やはり、ノーベル平和賞を受賞した人や聖人と呼ばれた人を立派な人だと思ってしまうんだろうなぁ、と思うのです。


