日中の日差しがいくらかは和らいだ夏の夕暮れ時。晩酌をしていた父が、「オイ、日航機がレーダーから消えたらしいぞ!」その声に、台所からTVの前に駆け寄る母。このテロップが、一体何を意味するのか、頭が混乱する私。1985年8月12日の午後7時少し前のことだったと記憶しています。
その後、それまで飛行機にも乗ったこともなければ、海外にも行ったことのない私は、その会社にご縁があり入社しました。「事故」から4年後のことでした。社内には、「事故」当時働いていた社員の数の方が、「事故」後に入社した社員を圧倒的に上回っていました。ですので、上司、先輩方から、安全運航の大切さはもちろんのことですが、自分たちが「事故」の「加害者」側の立場にいることをしっかりと胸に刻んで乗務するように教えてもらったことを記憶しています。
御巣鷹山に慰霊登山する際、ご遺族の方たちに道を譲ること、挨拶をきちんとすること、笑顔を見せてはいけないことなど、先輩方から予め注意がありました。当時、JALの社員が山頂でビールを飲んだことなど、新聞で叩かれたことがあり、気を引き締めたものです。私が登った1990年代初め御巣鷹山の山頂近くに小屋があり、そこにご遺族のご位牌やお供えものが沢山おかれてあったのを記憶しています。私は、乗員15名のものを見つけようとしましたが、見つかりませんでした。目立たないようにあったのかもしれませんが、見つけられませんでした。やはり「加害者」だから目立ってはいけないんだなぁと思ったものです。
その後、JALを退職。数十年の歳月が過ぎた頃、偶然、驚くような内容のブログを見つけたのでした。それは、「日本航空123便墜落事故 検証の記録 黒田 匠」氏のブログでした。公表されている「フライトデータ」「飛行経路」「CVR(コックピットのボイスレコーダー)文字起こし」「流出CVRの音声」を中心に検証しているブログです。
その中に、「日本航空123便墜落事故編隊長の実録①~⑥」というタイトルで書かれたものがあります。これは、123便に非常事態が発生して、直ちに発進したF4-EJファントム2機の編隊長、阿部典之元一等空尉の記録です。
この記録「彷徨の空」は、阿部氏からY氏(2010年10月)、そしてY氏から黒田氏(2021年10月17日)へと、時間をおき、慎重の上にも慎重を期して渡されたものです。それは、この「事故」にかかわる人たちに不幸が起きているからでした。
記録に書かれていますが、阿部氏が当時交際し、「事故」のやり取りをしていたJALのCAが交通事故で重傷を負いました。また当時、2番機に搭乗していた三等空尉が、やはり同じく123便に起きたことを記録に残そうとして、行方不明になっています。そして、また阿部氏自身も、自衛隊を退職し、転職後も内閣情報調査室の尾行を受け続け、内調により濡れ衣を着せられて刑務所に1年3か月間収監されました。阿部氏が記録のあとがきに書いた「最後に、この記録で再び犠牲者を出すのは、本意ではない」とは、このようなことを意味しています。
それだけ、誰かにとって、JAL123便に起きたことは隠さなければならなかったことだと考えざるを得ません。ブログにもありますが、阿部氏が内調の検閲をすり抜けるよう仕込まれたワードやニュアンスを汲み取りつつ、ご関心のある方はぜひお読みください。
この記録を読んだ後、日本航空は「加害者」ではなく「被害者」であったこと、そして、「事故」ではなく「事件」であったことを初めて知りました。私は、約30年間、壮大な嘘を信じていたのです。
JAL123便をきっかけにして、この世の中には、無辜の民の命を簡単に犠牲にしてでも、自分たちの企みを実行しようとしている人々が実際にいるということに気付かされました。
すると、「原爆死没者慰霊碑」に書かれている
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」
という言葉は、何かおかしいな、と感じるようになったのです。この言葉が、日本語だけで書かれている限り、私たち日本人だけが悪いことをした「加害者」であるかのように聞こえるからです。過ちを繰り返してはならないのは、一体誰なのでしょう?と思うからです。この言葉が、人類の一員としての誓いであるならば、全世界に向けて、せめて英語表記も載せるべきだと思うのです。
世の中のこと、国連が言うこと、政府が指示すること、マスコミが伝えること、医者が命じること、先生の言うこと、教科書に書かれていること、すべてを疑ってかかる必要がある、と思うようになりました。
これが、私にJAL123便の御霊520名が気付かせてくれたことです。
30分以上もの間、墜落の恐怖と闘った乗客505名、
そして、「おちついて下さい、ベルトをはずし、身のまわりを用意して下さい、荷物は持たない、指示に従って下さい」など、訓練所で学んだことを再確認するメモを残して散った29歳のCAを含む客室乗務員12名、
更に、着陸まであと少しであった横田基地への着陸を拒否され、最後は長野県のレタス畑への着陸を必死で目指したコックピット3名。
この520名の御霊に報いるためにも、私たちは、今、この世で起きていることに疑問を持ち、気付き、自分の頭で考えて、生きていくことが大切だと強く思うのです。


